あなたは、自分だけの居場所を持ってる?
~日本人にとってのサードプレイスとは~

「ひとりでふらっと立ち寄れる、なじみの店を持つようになれば、一人前――」とは、以前、先輩から教えられた人生訓なわけですが、皆さんは、なじみの呑み屋に限らず、ふだん通っているカフェや、仲間とのコミュニティ活動など、“素の自分でいられる場所”をいくつお持ちでしょうか。

■勤勉な日本人

2014年に行われた「自分の居場所に関する調査」(読売広告社都市経済研究所)では、「家庭」でも「職場/学校」でもない「自分だけの居場所(サードプレイス)」を持っていますか? という質問に対して、実に日本人の4人中3人(74.4%)は「持っていない」と答えています。
その理由はいろいろ考えられますが、一番の要因は、“長時間労働は美徳である”という日本人が根強く持っている仕事に対する考え方にあるように思います。さらに平日は仕事ばかりになってしまうため、休日は「家庭」への時間が求められ、結果、多くの人は「家」と「職場」との往復生活になってしまっているのだと思われます。

一方、海外に目を向けるとどうでしょうか。イギリスの人たちは、仕事帰りに“パブ”に立ち寄るのが一般的で、お酒を飲みながら、見知らぬ人たちとスポーツ観戦をしたり、ワイワイと趣味の話をしたりする、パブカルチャーが浸透しているといいます。

また、スペインでは“バル”が有名で、サン・セバスティアンという街では、地元の人たちに交じって、世界中から集まった旅行者たちが一緒にバルを巡りながら、毎晩遅くまで、賑やかな声が絶えないといいます。

ヨーロッパ諸国には存在し、今の日本には少なくなっている「サードプレイス」ですが、実は少し前の日本には、このような場所がいたるところにありました。例えば“銭湯”なんかは代表的な例です。自分は子供のころ、よく銭湯に行ったクチですが、そこには地域の人たちがいて、毎日、世間話に興じながらお風呂を楽しんでいる、いわゆる社交場としての光景がありました。また、最近ではめっきり見かけなくなりましたが、昔の日本家屋の“縁側”なんかも、地域の人たちのおしゃべりの場でした。

こういった場での交流というのは、上下関係や利害関係がないため、かけひきのないストレートなものとなります。今思うとこういった場でのやり取りは、子供たちにとってコミュニケーションの基本を学ぶ絶好の機会であり、地域社会を知る教育の場にもなっていたと思います。
そしてこのような、地域の人たちが交わる場所が、今の日本にはあらためて必要だと思うのです。

■地域の人が交わる場所

先日、ふらっと立ち寄った施設がなかなかすばらしかったので、ここでご紹介したいと思いまいます。それは神奈川県大和市の文化創造施設『シリウス』です。

ここは、2016年11月にオープンしたばかりの新しいスタイルの図書館で、「市民の居場所」をコンセプトにつくられました。外観はモダンなガラス張りで、内観は『蔦屋書店』と見間違うようなオシャレさがあり、『スターバックス』のカフェも併設されています。
ここの何がすばらしいかというと、「図書館」を中核にしながら、「芸術文化ホール」、「生涯学習センター」、「屋内子供広場」の4つの施設が一つの建物の中に融合しており、老若男女、地域すべての人たちにとって居心地のよい場所になっているとともに、様々な年代の人たちとの交流が促進されるように、デスクや椅子配置など細かなところまで工夫が凝らされている点です。

私が訪れたのは日曜日で、デスクには学生らしき人たちが勉強している姿が目立ちましたが、2Fの「交流ラウンジ」(2時間100円の有料)や6Fにある「交流スペース」(無料)は、おしゃべり目的で訪れたであろう人たちで溢れていました。この施設には、旧来の図書館のイメージである“お静かに――“という窮屈さがないため、それが居心地のよさにつながっているのだと思います。
また、この図書館ならではの、おもしろい取り組みとして、「自分史」の寄贈を受け付けています。これは、自分が歩んだ人生を300ページ程度の文章にすると、それを図書館が永年保管してくれるサービスです。さらに、来館者は、館内限定でそれを閲覧することができます。後世に自分の存在を残すことができるとともに、地域の人たちは、この地域にどんな人が住んでいるのかを知る機会にもなります。

オープンから1年3ヶ月が経過しましたが、既に延べ300万人が訪れているようで、地域の人たちにはなくてはならない場所として根付きはじめています。

■自分の居場所を求めて

さて、とりとめもなく“居場所”について語ってきましたが、私自身、「家庭」と「職場」以外に自分の居場所を持っているかと言えば、実はそうでもありません……。
そこで最近では、時間を見つけては、なじみの店を増やすべく、気になるお店に飛び込んでいるのですが、そこでの交流というのは、やっぱりおもしろいわけです。

たとえば先日とある居酒屋さんでは、開高健さんと知り合いだったという84歳のエッセイストの方に、魚の釣り方を教えてもらっていると、その話を横耳に聞いていたサーファーのおじさんが、魚の釣れる秘密のポイントを教えてくれて、さらにお店の主人がその話題を待ってましたとばかりに、おすすめの調理法を教えてくれるという“コミュニケーションの連鎖”がありました。私はその話をキッカケに、早速、次の週末に釣りに出かけてみました。

黒澤明監督は、映画『生きる』の中で、「家」と「職場」との繰り返しを忙しく生きる主人公のことを、「死骸も同然」と表現しました。そして物語は、普段接することのない人からの助言をキッカケに、「生きる意味」を見出していくのですが、まさに人生とは、こういうことだと思うのです。

生き生きとした人生をおくるためには、自分だけの居場所も必要である――。というのが本稿の結びなわけですが、それを家族への言い訳としながら、本日もまた夜の街へ一杯ひっかけに繰り出すのでした。

 

(記事:武田 康宏)

本記事は、エンタテインメントの研究をしているフィールズ研究開発室(FRI)のメンバーが、日頃の活動の中で気になったことに目を向け、独自取材に基づいて、執筆しています。

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