「ゼロ年代からテン年代へ」 ~エンタメ潮流はどう変わったのか?
<第1回>飯田一史さんインタビュー 後編:ヱヴァQからシン・ゴジラへ

FRIでは、“2011~2015年のエンタメ潮流”について研究し、その内容を基に有識者にインタビューを行っています。前回に引き続き、『東日本大震災後文学論』などの編著者、飯田一史さんにお話を伺いました。後編では、2011~2015年を象徴する作品について伺って行きます。
※インタビューは2017年2月に実施。

■2011~2015年を象徴する作品 『進撃の巨人』 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』

菅:
東日本大震災から6年の月日が流れ、昨年は、『シン・ゴジラ』 『君の名は。』 など震災テーマの作品が人々の心を捉えました。その前段の2011~2015年において注目すべき作品、時代を象徴した作品には何があるのでしょうか。

飯田:
2016年だと注目作品が多いのですが――その前であれば、あえて言えば『進撃の巨人』でしょう。
2009年から連載開始なので「震災後」に入れるのはおかしいと思うかもしれませんが、アニメは第一期が2013年放映なので許していただくとして。あまりにヒットしたので今更感すらしてしまいますが、2010年代の世界を先取りし、ポスト・トゥルース状況やポピュリズムの台頭する空気感を体現している作品であることは間違いありません。


左画像引用:進撃の巨人(講談社)、右画像引用:ハンガーゲーム(KADOKAWA)

飯田:
「誰を信じてよいかわからない」「自分たちは騙され、搾取されている」という感覚がベースにあり、その不信・不安の解消手段として絶対的な信頼関係が描かれている。主人公エレンと幼なじみのミカサをはじめ、身近な人間を強く信じることが、絶望に対する希望になっていますよね。この構図はTVアニメ『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』と同じです。味方のはずの調査兵団の中に巨人が紛れ込んでいた、平気でウソをつく人間がすぐそばにいるという点では先ほどのサイコパス話にも通じています。

これらは、2011年以降の状況とそれに対する人々の動きを見事に先取りし、すくっていたと言えます。
アメリカではヤングアダルト小説を中心に『ハンガーゲーム』を代表するディストピアものがブームなのに日本では翻訳しても全然売れないと大森望さんがよく言っていますが、日本には『進撃の巨人』をはじめ代替物がすでにあるからだと思うんですね。つまり、日本もアメリカも似たような空気感があり、その社会状況を反映・象徴する、似たような設定の作品がヒットしているという意味でも、『進撃』は注目に値します。「壁」の存在も、イスラエルがパレスチナ人居住区との間に建てた6メートル超のアパルトヘイトウォールをモデルに、トランプ政権が「メキシコとの国境沿いに壁を作る」とぶちあげている2016年以降の世界でこそ、連載開始当初よりもむしろリアリティとアクチュアリティを感じさせる設定になっていると言えます。21巻以降、明かされる「壁」の真実を考えると、とくに。

菅:
もう1つ挙げて頂くとすれば、どの作品でしょうか。

飯田:
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』(以降、ヱヴァQ)でしょう。
同じ庵野秀明監督作品である2016年の『シン・ゴジラ』と対比すると非常に興味深い。
というのも『ヱヴァQ』には震災後の混乱が如実に出ています。
主人公のシンジくんが『Q』の冒頭で目覚めると「お前のせいでニア・サードインパクトが起こった」と『破』の終わりでよかれと思ってやったことをディスられまくる。これ、原発事故が起こるまで東電職員といえば福島では羨望の対象だったのが、事故以降は「お前らのせいで」扱いになったこと、あるいは原子力が戦後日本では希望として語られていた時期もあったのに今や見る影もない負の象徴になってしまったことを思わせます。
そして、シンジは『Q』終盤では誰の言うことも聞かずに暴走し、メルトダウンを思わせる描かれ方でフォースインパクトを起こしてさらに世界を崩壊させます。救いのない内容です。

左画像引用:ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q(公式サイト)、右画像引用:シン・ゴジラ(東宝)

飯田:
震災後の不安を不安のまま吐き出さざるをえなかったのが『ヱヴァQ』であり、その不安をどのように解決するのかというソリューションを提示したのが『シン・ゴジラ』でした。
同じ人間が、同じ出来事を昇華させるべく作った作品なのに、ほんの数年の違いで、ほとんど真逆に見える。「人は変われる」のだとも、「人は変わってしまうんだ」とも言えます。
この2作を続けて観ると、考えさせられます。『Q』のようなギスギスした状況、疑心暗鬼とプレッシャー、不安な状態が続くことに人は耐えられない。だから、『シン・ゴジラ』のような「震災が起こったとき、こうなっていればよかったのに」という仮想が必要とされたとも言えるかもしれません。

新海誠監督の『君の名は。』は「ディザスターが事前に分かっていたら回避は可能である」という内容で、「こうすれば人は死ななかった」ルートを実行し、ある意味では災害による死者を復活させた話でしたが、2011年5月公開の『星を追う子ども』は「人は死んだら二度と生き返らない」ことを突きつけていた作品でした。これまた同じ作家なのに描いていることが真逆である点も、2010年代前半と後半の違いとして印象的です。

■今後のエンタメと物語の必要性

菅:
これまで、アニメやコミック、映画などがエンタメの中心でした。2011年以降は、スマホゲームやAR、VRなど、明確なストーリーフォーマットを持たないものが増えましたが、今後のエンタメはどうなって行くと思いますか。

飯田:
VRは三半規管をハックすることで没入感を高めるギミックとして新鮮でしたが、単純に何かに乗るとかどこかに行くとかキャラと話すとかだけでは飽きてしまいます。より、自分が参加しているという感覚を高める、そのデバイスならではのやり方でストーリーを体験できる娯楽がどんどん出てくることは間違いないと思います。

菅:
今は “体験” そのものに注目が集まっていますが、いずれは、物語性やその代替となるものが追加されるということでしょうか。

飯田:
そうならざるを得ないと思います。ARで言えば『Ingress』は現実世界を舞台にした陣取り合戦ですが、世界の命運をかけて二つの勢力が戦っているというSF的な設定を前提に、アノマリー(特定の都市で行われる大型リアルイベント)でどちらが勝つかによってそのあとのストーリーが変わる、といったことをしています。これは体験価値とストーリー性を合体させたよい例ですよね。

ナイアンティックが『イングレス』や『ポケモンGo』を通じて被災地支援をしている点も非常に評価できます。
一方、VRのように没入感の高いもので震災のようなセンシティブな内容を扱うのは、これまでのメディアでの作品づくり以上にケアしなければならないことが多く、難しいと思いますが……ただ、エポックメイキングな作品は当然出てくるはずで、それには期待しています。

≫前編はこちら

飯田 一史
1982年青森県生まれ。中央大学法学部法律学科卒、グロービス経営大学院経営研究科経営専攻修了(MBA)。ラノベ、SF、ミステリをはじめとする文芸と、マンガ、アニメ、ボカロといったサブカルチャーを中心に取材・執筆するライター/編集者。著書に、『ポストヒューマニティーズ 伊藤計劃以後のSF』など多数。

インタビュアー

菅 ななえ
フィールズ株式会社研究開発室(フィールズ総研)勤務。

本記事は、エンタテインメントの研究をしているフィールズ研究開発室(FRI)のメンバーが、日頃の活動の中で気になったことに目を向け、独自取材に基づいて、執筆しています。

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