渋谷クロニクル 第5回
原宿竹下通り商店会 監事 新井和明さん

「ハチ公」「スクランブル交差点」など日本を代表するシンボルが存在する、東京有数の繁華街の一つ「渋谷」。近代化が進む中にも昔ながらの風景を残す渋谷の歴史や街をよく知る人物にスポットライトを当て、渋谷の過去と未来を紐解いていく連載インタビューコーナー、それが”渋谷クロニクル“。

第5回は、原宿竹下通りで生まれ育ち、祖父の代から100年以上原宿という街の移り変わりを見てきた「原宿竹下通り商店会」の前会長であり現監事の新井和明さんにお話しを伺った。

――新井監事が原宿に根を張られた頃は、竹下通りはどのような時代でしたか?

私は生まれも育ちも原宿なんです。明治通り沿いで洋品店の三代目をやっておりました(現在のスターバックスコーヒーがある場所)。祖父が大正4年に洋品店の経営をはじめてからですので、新井家としては原宿にきてちょうど100年越えたところですね(笑)。私が子供の頃の原宿は住宅街だったので、今のように若い子が遊びにくる街ではありませんでした。住宅は庭付きで40坪くらいのお家で、八百屋、乾物屋、魚屋などの個人商店が点在している程度でした。
当時、一番印象に残っている出来事は、戦車が家の目の前(明治通り)を通り過ぎる光景ですね。横須賀から立川の基地まで自走して運んでいたそうですが、すごい音と振動でした。

――原宿が住宅街だった子供の頃は、どんな遊びをしていましたか?

東郷神社横の、今は原宿警察署がある場所には、当時「日本社会事業大学」がありまして、その校舎北側に木々が生い茂った土手で、カブトムシやクワガタなどの昆虫取りをしていました。また、この大学は元々海軍の施設をそのまま使っていたので、防空壕があったり、屋上には潜望鏡があったりして、子どもにとって絶好の遊び場でしたね。
もうひとつ印象的な記憶として、当時は自家用車を持っている人が少なかったので、明治通りはほとんど車が走っていませんでした。実家の真向いにはスタルヒン(元巨人軍投手)のお店がありまして、スタルヒンと明治通りを挟んで、よくキャッチボールをしていました(笑)。

――商店会とはどのように関わっていったのでしょうか?

私が大学を卒業して家業の洋品店に勤め始めた頃、時代はちょうどバブルでした。忙しすぎてみんな自分の店の事で精いっぱいだったので、当初は商店会の活動は全くしていませんでした。
そんな中、竹下通りで商いをしているお店の息子たちが集められまして「Jr会」が設立されました。今でいう青年会議所のような位置付けで、商店会の親会へ提案をするような組織として設立されたのですが、Jr会を立ち上げたタイミングで商店会の親会を閉じることになり、そのままJr会が親会に代わって竹下通りの商店街運営組織になりました。

――過去と現在、竹下通りを訪れる人々はどのように変わりましたか?

当時原宿には全くお店がなく、仕事帰りのお父さんや学校帰りの学生さんが通り抜ける、単なる道でした。原宿駅は山手線で一番利用者数が少ない駅でした。
それが1964年の東京オリンピックで一変します。原宿の隣の代々木神園町に選手村ができるということで、原宿も生活インフラが整備されていきました。
それと同時に、高級ファッションブランドのお店が次々と出店するようになりまして、ちょっと年齢が高い女性がショッピングする街として、劇的に変わっていきました。
それ以降の街の発展は、皆さんがご存知の通りです。

――「お気に入り」「とっておき」の場所はどこですか?

当時は、商店街の飲み屋さんがお気に入りでした。結構良いお店が多かったんですよ(笑)。今は、明治通り沿いにあるダイアナさん2Fの喫茶店「CAFE DE DIANA」ですね。すごく静かで落ち着ける空間なんですよ。私たち商店会の打ち合わせもダイアナさんの喫茶室でよくやってます。

――“この人”だと思う「原宿のヒーロー」はどなたですか。

やはり、私のヒーローは橋本清三郎さんです。
橋本さんは、当時原宿駅の竹下口を出て目の前の「ル・ポンテビル」のオーナーで、最初に商店街の息子連中を呼び集めて「竹下Jr会」を立ち上げた方なんです。お酒をこよなく愛する豪快な方ですが、原宿竹下通りの歴史を語るときには必ずお名前が出てくるほどの方なんですよ。
橋本さんが定めた入会条件は、Jr会は商店主の息子しか入れない、という非常にハードルが高いものだったんですが、町内の一致団結を図りつつも商店街運営に決定権のある自分の親たちに対して、ものすごく発言力のある組織を作った先見の明はすごいと思います。

――新井監事にとって「原宿」とは?

時代を映し出す鏡のような街、ですかね。
私が生まれ育った頃は住宅街としての原宿でしたが、東京オリンピック以降はファッションのお店が増え、原宿駅の乗降客が増え、そしてタレントショップができた時には一気に若者が増えて、ガラッと街の雰囲気が変わりました。
今現在も、街の開発は続いており、来年には23階建ての大きなビルが完成予定ですので、完成後には、また街の雰囲気が変わるかもしれませんね。
流行の最先端で、常に変化し続ける街としてこれからも見守っていきたいですね。

(記事:三澤 友貴)
(写真:井上 英祐)

今回お話を聞いた人:原宿竹下通り商店会 監事 新井和明さん
商店街の概要:原宿竹下通り商店会 事務所
〒150-0001 渋谷区神宮前1-9-3 原宿第3コーポ406号
お問い合わせ先:info@takeshita-street.com

Leave a Reply

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です